HOME 記述 松本真(洋画家)

Shin Matsumoto
松本 真 — 創作の軌跡

8. 私と松本先生

先生との最初の出会いは、大学に入ってすぐの芸術ゼミナールの説明会でした。
先生はゼミの概要を簡潔に述べると、慣れた手つきで木枠にキャンバス地を張り、あっという間に油絵用のキャンバスを作ってみせました。経済的に余裕のない学生でも思う存分に絵を描けるように──そんな配慮からだったのだと思います。
特別な話をされたわけでもないのに、私は先生の悠然としたオーラに圧倒され、迷わず他の芸術講義も履修することにしました。
芸術ゼミナールで学ぶうちに先生への尊敬と関心は深まり、どんな会話も刺激に満ちていて、一緒に過ごす時間はいつも新しい発見の連続でした。
やがて先生が取材などで遠出をする際には私が車を出して同行するようになり、進路について相談することも増えていきました。 そうした中で、大学をそのまま進級するよりも語学留学を経て、香川県漆芸研究所へ進むよう、強く勧めてくださいました。
そして、香川県漆芸研究所の見学に付き添って下さり、そこで後に漆の師となる北岡省三先生と出会いました。
松本先生の助言通り、大学を中退し、半年間の語学留学を経て、同研究所へ入所した後は、文通を重ね、帰省の際にお会いするなどして交流を続けました。
それから、数年にわたり、芸術ゼミナールの後輩5名も同研究所に入所しました。

2002年春休み、二人の後輩、先生、私、そして案内役の韓国人留学生の5名で韓国を訪れ、韓国螺鈿を学ぶ機会に恵まれました。
旅の途中、買い物へ向かう際に荷物番を決めようという話が出たとき、先生は「荷物を盗りたい人がいたら、持って行かせてやればいいじゃない」と笑い、全員でその場を離れました。 心配性の私は、先生の度量の大きさや、物事に執着せず自由に生きる姿にいつも憧れを抱いていました。この旅は、かけがえのない大切な思い出です。

2002年 韓国旅行 4月の雪が降りました。
(左から)山吉里織さん、私、松本先生


2004年3月、先生は脳梗塞で倒れ、長い療養生活に入られました。
かつて私の人生相談に応じ、「僕も何のために生きているのか分からないよ。人より少し上手に絵が描けるのが嬉しくて、絵を描いている。ただそれだけ。」そうおっしゃった先生が絵を描けなくなった姿を見るのは、私にとっても非常に辛いことでした。
倒れる直前、帰郷後の私を気遣い、「制作環境に困ることがあれば、いつでも力になる」と声をかけてくださいました。その言葉は今でも私の支えになっています。
2005年3月、香川県で7年間漆芸を学んだ私は、両親の協力のもと、実家の一室を作業部屋として改装し、本格的に制作へと向き合うようになります。

2007年3月には、先述の後輩5名とともにグループ展「真漆会展」を開催し、先生にも数点の絵画を出品していただきました。
真漆会展にて菅野かおり、山吉里織、前坂成哲 他2名

(後列左から)淵本恵里子、前坂成哲、桐原絵梨子
(前列左から)菅野かおり、今西朱子、山吉里織(旧姓:楠)

真漆会展にて北岡省三と松本真、松本三津子

高松からお越しくださった北岡省三先生(左)と松本真先生ご夫妻

真漆会展DM

真漆会展DM

折に触れ、私たちを激励して下さっていた修道大学学長(当時)の市川太一先生のご助力もあり、展覧会は盛況を収め、百貨店からは岡山店での開催の打診をいただきましたが、後輩たちの結婚、私自身はスペイン留学を控えていたこともあり、結果として一度きりのグループ展となってしまいました。

奥様は14年にわたる闘病生活を献身的に支え、先生に寄り添い続けられました。その手厚い看護と深い愛情は、先生にとって大きな支えになったことと思います。また、染色家である奥様の松本三津子先生(旧姓:井上)は工芸家として、今も私や後輩達に実践的なアドバイスを授けて下さいます。
先生との日々は、あたたかな記憶と鮮烈なイメージが折り重なったまま、今も私の中で生き続けています。優しく導いてくださった松本真先生と三津子先生に、心からの感謝を捧げます。

9. 年譜

1937 広島市生まれ 本名・松本眞(あつし)
1959 東京藝術大学美術学部(小磯良平ゼミ) 卒業
1960 松本真美術研究所(現: ひろしま美術研究所)を設立し、芸術大学・美術大学受験教育を行う(-1973)
1965 大下学園女子高等学校 ※1 非常勤講師(-1970)
1973 ドイツ国立ハンブルク大学留学(1年間)
1979 大下学園女子短期大学 ※2 非常勤講師 (-1980)
1980 広島修道大学 准教授(-1992)
1992 広島修道大学 教授(-2004)
2004 脳梗塞を発症
2018 4月25日 逝去(81歳)

※1 現・AICJ高等学校
※2 1989年広島中央女子短期大学に改称、2004年閉校

展覧会など
1954 第6回広島県美展(修道高校時代)
1955 第4回全日本学生油絵コンクール(修道高校時代)
1960 個展14回、グループ展等(-2000)
読売アンデパンダン展(以降2回出品)
1976 主体美術展 (-1979)
1977 スイス美術賞展
1978 イタリア美術賞展
日仏現代美術展(-1982)
1979 ギリシャ美術賞展
1981 元文部大臣・灘尾広吉の肖像画 制作(国会議事堂に展示中)
その他著名人の肖像画 制作
1982 国画会展 (-1994)
1983 第57回国展 新人賞
1984 「密教図像学会」 会員
1992 広島の画家 100人展
中国新聞創刊 100周年記念展
2000 個展「厳島としまなみ」

著書・論文
1979 「日本彫刻史」 渓水社より出版
1983 論文「古保利薬師堂四天王彫像」
1986 中国新聞「祈りの造形」全139回(-2004年)
1988 「広島祈りの造形」広島県医師だより 全139回(-1998)
1989 論文「広島県の庚申信仰と庚申塔」広島修道大学叢書51号
1990 論文「近世の石造美術」
2001 論文「織部灯籠」
2003 中国新聞「野の仏たち」全25回(-2004)
2004 「古保利の仏像」中国地方の山間・古保利薬師の仏像造形考察 アートダイジェストより出版

題字:松本未穂


10. 研究

日本彫刻史

1979年4月 渓水社

日本の美術史は彫刻によってコンクリートかつコンプリートに代表される。その代表例の仏像を中心としての美術史を試みた。ユーラシア大陸からの影響を受けて独自の形成と展開をみた日本の美術について述べる。

島根県の平安前期彫刻
ーその地方性についてー

1983年6月 広島修大論集 第24巻第1号

島根県下のいくつかの平安前期彫刻を取り上げて、その造像上のイコノグラフィー的考察を試みる。 その結果、今まで安易に「出雲様式」と呼ばれていたものは単なる地方に多くみられる地方作・群風のものであり、独自の様式が島根県に存在しないことを明らかにする。

古保利薬師堂四天王像
ーその制作年代についてー

1983年12月 広島修大論集 第24巻第2号

貞観彫刻として名高い広島県山県郡千代田町の古保利薬師堂四天王彫像の造形上の特徴を、詳細な分析・考察を試みてその時代性を明らかにする。特に、四天王彫像その3においては諸先学の考察の届かなかった造形上の解析をおこない、明確にその造像年代を割り出す。

広島県における庚申塔
ー(上)刻像塔59基の 図像一

1984年12月 広島修大論集 第25巻第2号

広島県下には庚申塔は119基が確認されている。全現地調査によってその分布図と造形上の特徴を明らかにして、江戸時代から続けられた庚申信仰の実態を明確にする。その遺品は安芸地方には数基しかなく備後地方中でも備北に集中している。刻像塔は119基中59基(庄原地方に集中)あり、その全図像を詳しく図示する。

広島県の庚申信仰と庚申塔

1989年10月 広島修道大学叢書 51号

庚申信仰は、近世初期から近代までを通じて、寺社奉行制度や壇家体制から離れて庶民の間に深く浸透した民間信仰の代表的なものである。
広島県の庚申習俗とその遺品の悉皆資料採録とその分析によって、江戸時代の地方美術の特質について考察した。
江戸時代の仏教美術は、日本の三都と各地方都市(各藩)において、室町時代の伝統を引き継ぐ技術的には手堅いが、創意の乏しい陳腐な内容のものであった。しかし、仏教美術の中でも石造美術は、各藩の地方 (じかた)・農村地帯において創造的な活力のある庶民の芸術が展開された。石造美術の庚申石塔の中に、その造型性の特徴をイコノグラフィの立場から分析を試みた。それにより18世紀から19世紀を地方美術隆盛期として位置づけることができた。
《「広島県の庚申信仰と庚申塔 (上)」 を、一部 訂正加筆した上に、その続編に当たる内容「下」を合わせて、1冊としたものである。》

西城町の石仏

1989年11月、1990年3月、8月
郷土 46号、47号、48号 西城町郷土研究会刊

広島県婆郡西城町には、江戸時代を代表する石美術の遺品が多い。同町内の石造美術悉皆調査より、その中から 「石像」のみをとりあげた。それらは、18世紀前半(1714年-1760年頃)に出張石工として当地を訪れた「泉州石工」の手になるものが多く、地方作ではない中央作としての伝統的古典主義的造形美をもっている。

近世の石像美術
ー備後地方の18世紀遺品を中心としてー

1990年10月 広島修大論集 第31巻第2号 人文編

近世の石像美術は18世紀初頭から、日本の各地方都市、中でも地方 (じかた)、農村地帯においてその隆盛をみる。そのことは「元禄文化」を引き継いだ地方の庶民が生活に自信と活力を得てきたことを示している。
備後地方の石像美術を中心に、その作例を具体的 に考察した。それらの遺品は造形美術として地方独自のものというより、伝統的古典主義的造形美をもって優秀である。「中央」があって「地方」が従うという図式がそこにあることが判明した。

織部灯籠
ー『キリシタン灯籠』の遺品は存在しない一

2000年3月 広島修大論集 第40巻第2号

1930年代から、キリシタン遺品にならって、石灯籠「織部灯籠」の中に、隠れキリシタンの信仰を仮託し、その礼拝の対象とした「キリシタン灯籠」の遺品が存在すると主張されている。その説は全面的に誤りであることを証明した。

祈りの造形

1986年9月~1998年8月
広島県医師協だより (月刊) 191号~334号、全139回 1編約1300字

広島県内に存する主要な中世・近世期の石造遺品を 彫刻美術の概念で現地取材し、考察したものを対象としている。 宝篋印塔・五輪塔・地蔵石仏などその数が厖大であるから、同種類のものはなるべく重複 しないように、 異種類の多くを対象としている。 し かし、中世の遺品で歴史上 美術上で重要なものはすべて取材対象としている。これらはあたかも県内石造美術遺品の悉皆調査であり、「広島県石造美術 全調査レポート」である。
(1~8回、11~15回、33~37回、71回の計19回分は、木彫仏・平和公園内記念碑などを対象としているので、純粋に上記の内容と呼べるものは、計120回である。)

古保利の仏像
中国地方の山間・古保利薬師の仏像造形考察

2004年 アートダイジェスト

豊富な写真図版とともに、薬師如来像をはじめ とする諸仏像のこれまでの研究を踏まえた詳細な論考、古保利薬師の前身・福光寺の歴史、年表、参考文献などが収録されている。
(広島修道大学芸術選書23)


11. 資料

現:ひろしま美術研究所

 

1968年6月 個展案内状


1968年11月 個展案内状

1982年3月 個展案内状

1976年


1981年 広島市安佐南区西原のアトリエ


2002年 韓国にて


アトリエ「蛞蝓庵(かつゆあん)」の表札

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2025.11.25
2025.12.04