蒟醤Kinma
概要
約10回塗り重ねた漆の表面を蒟醬剣(彫刻刀)で彫り、彫溝に色漆を埋めて平らに研ぎ出し、文様を表す技法です。
東南アジア(タイ・ミャンマーなど)から流入した技法で、江戸時代末期以降、香川県で盛んになりました。
おおまかに線彫りと点彫りの2種類があり、蒟醤剣も線彫り用と点彫り用を用意します。
線彫り
点彫り
大きな点彫り
これらの応用として「往復彫り」、「蓮華彫り」、「布目彫り」があります。
左6本が点彫り用、中央2本が沈金刀、右3本が線彫り用
制作工程
広い面積の文様と、線彫り文様を組み合わせた例で説明します。 |
1. | 10回以上、黒漆を塗り重ねる。 |
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2. | 広い面積の文様を彫刻刀で彫る。 |
3. | 色埋め。(凹みが埋まるまで数回塗り重ねる)
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4. | 炭で平らに研ぎつける。 |
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5. | 線彫り用の蒟醤剣で文様を彫る。 |
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6. | 色埋め。(凹みが埋まるまで数回塗り重ねる) |
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7. | 炭で平らに研ぎつける。 |
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8. | 摺り漆をして、磨いて完成。 |
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炭研ぎ
(香川県漆芸研究所
東南アジアの蒟醤
東南アジアやインドには、キンマという木の葉でビンロウジ(檳椰子)の実と貝灰を包み、嗜好品として噛む習慣があります。キンマ一式を容れる漆器やその装飾技法もキンマと呼ばれ、キンマ入れは社会的地位を示す重要なもので、結納品としても重要な品の一つとなりました。素地には竹ひごを編んで容器にした籃胎が用いられました。竹材は弾力性に富み、湿度によって変形せず、軽くて丈夫なのが特徴です。
日本へは室町時代中期(15世紀頃)に伝来し、茶人を中心に香入れとして愛用されました。
画像「鳥獣蒟醤箱」(文化遺産オンライン)
香川の蒟醤
江戸時代後期、高松藩の玉楮象谷が東南アジアの蒟醤を模して、作品を制作したのが始まりです。一度、途絶えていましたが、約100年後、磯井如真が日本の文様に置き換えてよみがえらせました。顔料の発達に伴い、現代では色鮮やかで絵画的な作品が多く見受けられます。
玉楮象谷「彩色蒟醤料紙硯箱」
(香川県漆芸研究所のパンフレットより)
また、香川県は、これまでに5名の蒟醤技法の重要無形文化財(人間国宝)を輩出しています。
製法が絶えていた香川漆器を独自研究を重ねて復興し、讃岐漆芸の中興の祖と称される。
無数の点を彫った「点彫り」を創案し、ぼかし表現を可能にした。
「磯井如真の作品」(日本工芸会)
磯井 正美 (1926-2023) Masami Isoi
磯井如真の三男。
角剣による点彫りを応用した「往復彫り」、木彫用の丸刀を使って柔らかいイメージを出す「蓮華彫り」を考案。ぼかし塗りをして研いで、グラデーションの効果によって生まれた空気の流れを背景に、蝶や植物などを組み合わせた。
また、科ベニヤを貼り重ねて成型した「積層」という素地を創案した。
「磯井正美の作品」(日本工芸会)
太田 儔 (1931-2019) Hitoshi Ota
磯井如真に師事。
途絶えていた籃胎蒟醤を復活させ、より堅牢な「二重編み」の籃胎を考案した。
また、網代を漆で塗るタイプ、先に竹ひごに漆を塗って網代を編むタイプなど、いくつかの種類の籃胎の技法を確立させた。
蒟醤では「布目彫り」という技法も創案した。これは、1mmの中に3、4本の線を彫り、図案に基づいて筆で色を埋め、これを縦、横、斜めと緻密に繰り返す技法で、絵画のように自由で繊細な色の表現を可能にした。
「太田儔の作品」(日本工芸会)
山下 義人 (1951-) Yoshito Yamashita
磯井正美と田口善国(蒔絵の人間国宝)に師事。
「積層」の素地と「往復彫り」に加えて、蒔絵を併用する事もある。
自然界からインスピレーションを受けた個性的な意匠の作品が多く、芸術的にすぐれていると高い評価を得ている。
「山下義人の作品」(日本工芸会)
大谷 早人 (1954-) Hayato Otani
太田儔に師事。
「籃胎」を素地として、「布目彫り」と「線彫り」による柔らかで繊細な表現で、草花や昆虫たちの一瞬の美しさを切り取ったイメージを図案化している。
また、瀬戸内国際芸術祭では、男木島の実家を使い、建築と漆を融合させた「漆の家」として再生、展示し、国内外から高い評価を得ている。
「大谷早人の作品」(日本工芸会)
以上、敬称略
参考資料
1. | 住谷 晃一朗 「玉楮象谷伝 自在に生きた香川漆芸の祖」 2016年 香川県監修 求龍堂 |
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2. | 香川県漆芸研究所 |
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