

漆の歴史History of urushi
ウルシの木と漆文化が中国大陸から伝来したのか、日本で自生したのか、研究者によって意見が分かれます。
※ウルシの木を「ウルシ」、漆文化を「漆」と表記しています。
この記事の目次
ウルシの起源
ウルシはウルシ科ウルシ属の落葉高木です。近年の研究では、ウルシに関しては、縄文時代かそれ以前に中国大陸から日本にもたらされたと考えられています
ウルシと他のウルシ属植物は生態的にかなり異なっていて、ウルシは日本には野生しない事が分かりました
野生のウルシには遺伝的に異なる二つの集団があり、一つは中国中央部に、もう一つは中国東部の沿岸地域に分布しています。日本で栽培されているウルシは中国東部の集団から由来しているもので、日本と韓国の栽培ウルシと遼寧省と山東省の野生ウルシは全く同じ塩基配列を持っています。(下図を参照)
縄文時代の独自性や漆文化の成熟度から日本自生説も唱えられましたが、日本の古い地層からはウルシの花粉が発掘されていません。また、日本のウルシのDNAは、朝鮮半島やその北部、中国の山東省辺りの型と同じである事から、それらの地域のウルシが、複数回繰り返された交流によって日本にもたらされたと考えています。
福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土したウルシの木片が、世界最古となる約1万2600年前のものであることから
縄文時代の出土品
漆工芸は縄文時代早期末にはじまり、現代まで続いています。
現在、世界で最も古い漆製品は、2000年8月に北海道函館市の垣ノ島B遺跡から出土した繊維製品で、縄文時代早期(約9000年前)のものです
縄文時代における漆工芸技術については、遺跡から出土した漆工芸に関わる遺物から復元されており、赤色顔料の準備や素地の製作といった多くの生産活動との結びつきを持った高度な技術として評価されています。また、発掘調査が進んだ事で、漆製品の素地や赤色顔料の種類が時期や地域によって異なる事が分かりました。
縄文時代の中期から後期の遺跡になると、北海道から関東にかけて、様々な漆塗り製品が出土しています。ウルシが植樹されていたと考えられ、未完成の漆器が大量に見つかった漆職人の家と見られる遺跡もあります。
一か所の遺跡の中に、漆工芸に関わる工程で必要と考えられる材料や道具がない場合もあります。それは、当時の漆工芸が一つの集落の中だけで完結していたわけではなく、周辺や遠隔地の人々との協力関係の中で成立した活動であることを示しています。
一方、木地を固めるために漆を一度吸い込ませ、その後、何回も塗り重ねる、といったような漆塗りの基本的な技術は、縄文時代には、すでにほぼ完成の域に達しています。
また、赤色の漆塗り製品を作る為には、透明な漆を精製し、赤色の顔料(弁柄や水銀朱)を混ぜて、根気よく練って、色漆を作らなければいけません。赤色顔料を作るのも大変手間がかかります

蒔絵のはじまり
日本最古の蒔絵は正倉院の宝物「金銀鈿荘唐太刀(きんぎんでんそうからたち)」という太刀の鞘に施されている「末金鏤(まつきんる)」という研ぎ出し蒔絵になります。使用された金粉は、鑢(やすり)で下ろしたサイズも形状も様々な金粉で、鑢粉(やすりこ)と呼ばれます。ふるいでサイズを選別されず使用されていました。
この品が奈良時代のものということから蒔絵の歴史がはじまったのは奈良時代とされています。
その後平安時代から「 蒔絵 」と呼ばれるようになり鎌倉時代に蒔絵の基本的な技法( 平蒔絵・研ぎ出し蒔絵・高蒔絵 )が完成しました。
1639年、徳川三代将軍家光の長女である千代姫の婚礼調度として制作された「初音の調度」(国宝)は、蒔絵の最高傑作の一つとして知られています。

図録「大蒔絵展」表紙の一部拡大
参考資料
2024.05.02


