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彫漆Choshitsu

色漆の層の色彩の美しさや、立体的な表現が特徴。数十回塗り重ねた漆の層を彫刻します。

 彫漆は約千二百年前の唐時代に中国で起こり、宋、元、明時代へと盛んに製作されるようになり、日本へは室町時代、留学僧や帰化僧などを通じて供仏器や貴人の調度品として渡来しました。

概要

花粉の部分は蒔絵、葉の葉脈は素彫りをしています。


 彫漆の中で朱漆ばかりを塗り重ねて文様を彫刻したものを「推朱(ついしゅ)」、黒漆のものを「推黒(ついこく)」と呼び、また、緑漆を塗り重ねた上に朱漆を塗り重ね、花を朱漆で、葉の部分を緑漆で彫り表したものを「紅花緑葉(こうかりょくよう)」といいます。
 完成したデザインを考えて色を塗り重ね、出したい色まで彫り下げ、研いで仕上げます。


彫刻刀と砥石、仕上げ砥石、切削刀(きさげとう)

彫刻刀、切削刀(左の7本)、砥石

彫漆 彫り始め Urushi art by Kaori Sugano

華文彫漆水指(下)の彫り始め

菅野かおり「華文彫漆水指」Urushi art by Kaori Sugano

華文彫漆水指 D17 x W17 x H18.5 cm


制作工程

1.漆を数10回塗り重ねる。(50回~60回が一般的)
黒漆の場合、100回塗り重ねて約3mm、色漆の場合は50回塗り重ねて2~3mmの厚みになります。
最短で1日1回塗り重ね(塗り、乾固、耐水ペーパーで研ぐ)ができます。

2.彫刻刀で文様部分を彫り下げる。

3.切削刀(きさげとう)で表面を整える。

4.棒(直方体)状にした研磨炭などで研ぐ。
三和砥石→駿河炭→クリスタル砥石と3種類の研磨材で研ぎます。

5.数回摺り漆をして、磨き粉で艶をつける。

6.完成。(上から見た図)

中国の彫漆

 中国の彫漆には、犀皮(さいひ)※1、屈輪(ぐり)※2、堆朱、堆黒、彫彩漆(紅花緑葉)、堆黄の6種類があり、もっとも早い作例は唐時代の「革製鎧小札」で、新疆ウイグル自治区ミーランで発見されました。シンプルではありますが、逆S字文など犀皮の先駆けのような文様が見られます。
 宋時代(12世紀頃)には、目を見張るような勢いで、彫漆作品が次々と制作されるようになりました。宋時代の彫漆は、元、明、清時代の彫漆の規範となり、それらに多大な影響を及ぼしたものとして、重要な意味を持っています。
 犀皮と屈輪については、文様が具体的に何をあらわしたものか判然としませんが、宋時代の陶磁器や銀器に同類の文様が見出される事から、当時、大変流行した文様であったと見られています。

宋時代の「犀皮(さいひ)
(図録「中国宋時代の彫漆」表紙の一部を拡大)[1]

※1犀皮(さいひ)
黄漆や朱漆を交互に塗り重ねて一番上に黒漆を塗り、その後に幾何学風あるいは抽象的な文様を彫りあらわしたものです。
犀皮には、およそ3種類あります。
朱漆と黄漆を交互に塗り重ね、表面を黒漆もしくは透漆(すきうるし)を塗って、文様を彫り出したもの。朱漆と黄漆を交互に5層重ねたものが一般的です。
黒漆と朱漆を交互に塗り重ねて、文様を彫り出したもの。
朱・黒・黄色の漆の他に緑色の漆を加えて、漆の層をつくり、文様を彫り出したもの。
画像「犀皮盆」(文化遺産オンライン)
※2屈輪(ぐり)
多くは黒漆または朱漆を塗り重ね、そこにメガネのような形をした文様をひとつの単位として、器表の全面にあらわしたもの。この屈輪という名称は、日本でつけられました。
画像「屈輪堆黒盆」(文化遺産オンライン)

香川の彫漆

 江戸時代後期、高松藩の玉楮象谷(たまかじぞうこく)が中国の彫漆を模して、作品を制作したのが始まりです。当時は黒漆や朱漆を塗り重ねた中国風の彫漆が主流でした。
 象谷の父親は篆刻と細字によって知られており、象谷もこの篆刻から入って、彫漆、蒟醤、存清などの技術を習熟したようです。蒔絵にはない立体的な表現の面白さに魅了され、多くの彫漆作品を生み出したと見られています。
 画像ギャラリー「玉緒象谷の作品」(文化遺産オンライン)

書籍「玉楮象谷伝」表紙の一部拡大[2]

 1954年の文化財保護法の改正により、1955年、音丸耕堂が彫漆で重要無形文化財(人間国宝)に認定され、現在の讃岐(香川)漆芸に大きな影響を与えました。現在、活躍する概ね60歳以上(2024年の時点)の彫漆の作家のほとんどが耕堂の弟子です。
 1898年生まれの耕堂は、20代の前半から素封家の高木吉直に見込まれ、高給で献上品の制作に従事するようになりました。教養人で茶人でもあった吉直より茶道、漢文、漢詩なども教わり、「一家を興すと」という意味の雅号〈耕堂〉を与えられました。20代から漆芸に関係する画法や書法、茶道から漢学、和歌や俳句まで貪欲に学んだ耕堂は、帝展や日本伝統工芸展への出品作として、色彩豊かな彫漆作品を多く生み出しました。
「こういうものを作ってみたいという感動、その発想源が湧いたとき、その時だけは楽しみ、それでもう夢中になってしまって、それにかかりますね。上手くいって当たり前ですわ。自分の感動なんだから。それで日が経つほど、もう完成する時にはむしろ興味は失われてしまって、それで『こうするんじゃなかった』、『こうすればよかったんじゃないだろうか』というね、そういうもどかしさに、それにかき立てられるから、また次のものをやるわけですわ。」耕堂は創作活動の内奥をこう解き明かしている。

引用文献:住谷 晃一朗 「讃岐漆芸-工芸王国の系譜」[3]2005年 河出書房新社 p.245

 耕堂の座右の銘に「是を楽しんで疲れず」という言葉がありますが、夢中になって取り組んだ作品でも、自分自身が満足できるものはほとんどなく、大勢の人に作品を見られる時は、自分が裸になっているようなわびしさと焦燥を感じていたそうです。
 画像ギャラリー「音丸耕堂の作品」(日本工芸会)

参考資料

1. 東京国立博物館 「中国宋時代の彫漆」 2004年
2 住谷 晃一朗 「玉楮象谷伝 自在に生きた香川漆芸の祖」 2016年 香川県監修 求龍堂
3. 住谷 晃一朗 「讃岐漆芸-工芸王国の系譜」 2005年 河出書房新社

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2024.05.02